フィスコダイヤモンドエージェンシー事業本部

フィスコダイヤモンドエージェンシー事業本部は、フィスコの事業の一端を担っている広告代理事業部門とのことです。(フィスコは、白井一成が代表を務めるシークエッジグループの会社)
セールスプロモーションとブランディングを両立した、高いレベルのコミュニケーションを、顧客に提供しているそうです。

同社の目標は、クライアントと真のパートナーシップを築くというもの。その想いを、社内で共有しているそうです。
フィスコダイヤモンドエージェンシー事業本部は、クライアントがそのビジネスで結果を出し、さらに目指すべきところに近づくための、広く深い知識と経験を得てもらえるように活動しているとのことです。

世界はいま、激動の真っただ中にあり、その変化はスピードアップしています。変化の一番大きな原因は、ネット化、情報技術(IT)のイノベーションの進展と国際化とのことです。フィスコの同事業部も、ネット化、ITにより効率性を追求しているそう。

また、専用サイト「広告無料相談/見積サイト アドネル」の開設や新しいテクノロジーへの対応などを積極的に試みることで、クライアントに最適なサービスを届けるのだとか。

ビジネスは世界の大変革期を迎えるにあたって、これまでとは違った大規模な対応を迫られているのだとか。
今や、全ての情報が一瞬で世界中に伝えられたり、アウトソージング可能な業務が低コストで対応できる新興国に移されつつあったりするようです。

これによって、各地でこれまでのビジネスモデルの価値の下落や、代用案の出現が起こっているのだとか。

同じように、広告業界にも変化が起きているようです。ネット社会の発展により、消費者も必要な情報にいつでもアクセスできるようになりました。そのため、情報格差を活かした従来のビジネスモデルには限界があるのだとか。

このように、世界が大きく変化するなかで、クリエイティビティは今後最も大切な経営方法だと考えられているようです。

これまのビジネスにおいても、定量的なアナライズは重要でした。しかし、IT化・グローバリゼーションが進行する中では、「値段が安いこと」「品質が優れていること」だけでは競争力がないのだとか。感性やデザイン、ストーリーなどによって裏打ちされた調和、全体性を実現するクリエイティビティには消費者へのアピール力や共感を呼び起こすことで、他とは異なるビジネスモデル構築に至るようです。

そこで、フィスコはダイヤモンド社のDNAを引継ぎながら、フィスコというネット金融情報メディア部門として展開。時代をリードするための戦略をたてるための組織力を実現したのだとか。フィスコにはコンサルティング部門やM&A部門があります。更に、多数の上場企業と企業ネットワークを構築。そのネットワークに基づいたIRスキルをベースにしながら、オリジナルのコンサルティング手法を活かした提案をします。

フィスコオリジナルの手法とは「コミュニケーション・プロトタイピング、行動指向型統合ブランディングコミュニケーション」なのだとか。会社ぐるみで能動的に、お客様のニーズを超えたクリエイティブ戦略を提案できるようです。

フィスコは新たな広告代理業ビジネスモデルの推進を目指しているようです。現代社会において、クライアントにとって本当に価値のある創造性を大切に、既存のビジネスモデルを効率化。更に、企業価値と存在意義を踏まえたうえで、フィスコだからこそ可能なクリエイティビティの提供を軸にして努めるようです。

フィスコダイヤモンドエージェンシー事業本部のあゆみ

フィスコダイヤモンドエージェンシー事業本部は50年以上にわたって、国内企業のコミュニケーションにソリューションを提供し続けてきました。そのルーツは1952年に創業されたダイヤモンドエージェンシーにあるのだとか。
当初はダイヤモンド社の出版広告代理店としてダイヤモンドグループ内に発足。色々なマガジンの販売促進のための広告制作が主な業務だったようです。

5年後には業務範囲を放送メディア、印刷など幅広い領域へと広げその活動も戦略コンサルティングからクリエイティブまでのフルサービスへと展開すると同時に、名前をダイヤモンドエージェンシーと変更したようです。その後、20年間におよぶ発展の間に、エンターテインメント、レジャー、不動産、金融サービス産業などといったそれぞれの分野において事業を実施。それぞれの事業は好調だったとのこと。そして、1980年の後半には自治体・街全体のマーケティングパートナーとして、日本国内で初めてアウトレットモールの立ち上げや、住宅・商業地域開発のひとつの役割を引き受けたそうです。

そんなこの会社が現在のような体制になるきっかけは、2006年に統合型ブランディングのプロフェッショナルカンパ―二―として再出発を果たしたこと。更にその3年後に、白井一成が代表を務めるシークエッジグループの企業フィスコの広告代理業部門として事業を開始したことのようです。

沿革

1962年
フィスコダイヤモンドエージェンシーは、もともとダイヤモンド社が発行する「週刊ダイヤモンド」など各種メディアの広告業務代行を目的として組織され、「ダイヤモンド雑誌広告株式会社」と称したそう。ダイヤモンド社のメディアだけでなく、いち早く新聞・雑誌広告を広く扱うことを通して、順調に業績をあげていったとのことです。

1967年
ラジオ・テレビ部門へも業務を拡げました。それに伴い「株式会社ダイヤモンドエージェンシー」へと社名を変更。総合広告代理店としての機能を安定させる傍ら、顧客のニーズにあわせるために、「産業広告」部門におけるマーケティング・クリエイティブ手法の開発へと注力。コミュニケーションおよびセールスプロモーションの専門分野をしっかりと打ち立てたのだとか。

1969年
アメリカ産業広告主協会AIAに加盟すると同時に、国際広告室を設立したようです。日本企業の海外広告の取り扱いを開始。また、海外クライアントを獲得したのだとか。

1970年
日本産業広告協会が設立されたようです。フィスコは設立と同時に加盟していたそう。他の加盟各社と共に、産業広告分野の確立・発展のために寄与を続けているようです。

1982年
専門分野のコミュニケーション手法を売りにした提案がそれぞれの顧客から好評を博したのだとか。この年代の前後に立て続けに、コンピュータ・エレクトロニクス・不動産など、様々なビッグクライアントを獲得したようです。

1984年
この年にはフィスコの顧客が多様化したようです。産業広告クライアントに加え、住宅、クレジットカード、レジャー・娯楽関係などと取引するようになると同時に、業務も多角化。更に、全国一斉ウォークラリー大会の運営に携わったようです。

1987年
この頃より、CI、VIを数多く手がけたそう。スポーツ施設のCI計画をトータルに実施したのだとか。
更に「就職見聞録」をこの年から1年に1回スタートしたようです。「就職見聞録」はテレビ番組を中心にしたマルチメディアとのことです。

1989年
教育事業部を設立し、企業の社員教育事業を手掛け始めました。また、SP事業部も設立。「横浜シティウォーク」、「横浜ベイブリッジ開通記念イベント」などを行い、イベント事業に本格的に進出したそうです。

1990年
ダイヤモンド社と一緒に、ダイヤモンド・デザインマネジメントネットワーク機構(DMN機構)を設立・運営をスタート。また、東京国際ウォークラリーをこの年から行ったようです。

1991年
NTTの特別協賛を得て、国際テニス同盟主催のNTTワールドジュニアテニス大会を実現させたとのこと。それ以降、毎年運営実施にあたっているそうです。